金鑚神社は関係ある 武蔵国っていうのは
(伝)第12代景行天皇年間 |
概要[編集]
関東平野西縁、埼玉県北西部に立つ御獄山(標高343.4メートル)山麓に鎮座し、社殿後背の御室山(御室ヶ獄)を神体山として祀る。山を神体山とするため、社殿には本殿は設けないという古代祭祀の面影を残すことで知られる。また、「武州六大明神(武蔵六所大明神)」[注 1]の一社にも数えられる神社である。
創建[編集]
社伝(『金鑚神社鎮座之由来記』)では、日本武尊が東征の際に伊勢神宮にて叔母の倭姫命から授けられた草薙剣と火鑽金(火打金)のうち、火鑽金を御室山に御霊代として納め、天照大神と素戔嗚尊を祀ったのが創建という[1]。また、元々の社殿は現社地の南約400メートルの地にある元森神社であるといい、古くはここから御室山が遥拝されたと考えられてる[1]。
→日本武尊が伊勢に叔母?? そういうのがちょっと信用できないんだよな。その信用できない部分は保留として・・・
概史[編集]
『神道集』(南北朝時代)では当社を「五宮金鑽大明神」として「武蔵六所大明神(武州六大明神)」[注 1]の一社に挙げるほか、本地仏を弥勒菩薩とする[1]。また『風土記稿』によると、永禄12年(1569年)銘の鰐口にはやはり五宮と刻銘があるという[1][5]。以上の史料から当社は武蔵国において五宮に列したと考えられており[5]、武蔵国総社の大國魂神社でも五宮として当社の分霊が祀られている。一方で江戸時代の『武乾記』(安永元年(1772年))では当社は二宮と記され[1]、地名や神社公称も二宮としているが、当社を二宮とする中世史料はなく明らかでない[5]。