そしてこれがるろ剣の追憶編で描写した刀か 蛍丸


なんて美しい描写だと 何度書いたかわからない。池田屋でのシーンな。

その絵と、あと鶴の鳴くシーンがとても強烈だったけど

まだ好きな絵は多々あって

第1話の後半の 雨で御庭番衆だったか あれと絡むシーンとかの色使いとか

すべてにおいて あれは美術の傑作だった。

何度 繰り返し観たか。しばらく観ていない。自分の脳裏に好きな場面が

ぱっと出てくるから。

伝来[編集]

南北朝時代南朝側の武将、阿蘇惟澄が佩用したと伝えられる。惟澄は、1336年(建武3年)の多々良浜の戦い菊池武敏を助けて足利軍と戦い敗れた[3]。その夜、この激戦で刃こぼれした刀にが群がり刀を直した夢を観て、目が覚めて刀を見てみると本当に刃こぼれが直っていた、との伝説があり、これが「蛍丸」の名の由来となっている。

前述のように、太平洋戦争終戦後は所在不明である。
所在不明となった経緯について、一説にはGHQが戦後日本の非軍事化政策の一環として全国から日本刀を没収して廃棄する「刀狩り」を行った際に、蛍丸も接収され処分されたのではないかとされている。ただし、「処分された」との正式な記録もなく、異論として「接収を避けて阿蘇神宮から密かに運びだされ、何処かに隠された」との説もあるが、いずれにしても現在に至っても所在不明のままである[4]。なお、国の重要文化財としての指定は所在不明となった後も継続されている[5]

そしてあたしが書いた 金属類没収の命令あったその時期

その時期に刀が行方不明なのか??

だから過去それに触れた際に書いた。あの百済の皇族たちは没収は武器を作るのに
材料となる鉄が足りないと言い訳してたっぽいが、あたしは嘘だと思うって。
あの連中が刀を没収してなかったら、それで正当防衛で戦えたかもしれない人も
いたんじゃないのか??と、あたしは指摘している。
あの当時、刀が最高な武器で、危険ではあるものの、あんな時代に突入していって
武器を取られたら、本土に残ってる人たちはどうやって身を守るのか。
それこそわざとじゃないかと、あたしは思っている。そんだけ武器を取り上げて
丸裸に近い状態にして襲われてるんだよ??  まぁ空襲は刀ではよけられないが。
あたしはそれを、日本人をキリスト教に売った行為だと、さいさん指摘した。
まだじじばば達が生きてるならば、あたしの考えも含め、当時の事を照合してみて
ほしい。あたしは、皇族が国民をキリスト教のイケニエにしたと考えてるから。