津南町


いや ここ 通り道だったんじゃないか??って過去書いた事がある。

隠れ里のひとつ

そー感じるから。

そこから匂ってくるのが上杉謙信に学問教えた人・・・

つーか いつから越後の虎って呼ばれてたんだろうな。

日本に虎は生息してないんだよ。

日本に虎が入ってきたのは室町時代 足利の時 絵画でとされている。

上杉謙信 唐のにおい すんだよなぁ・・・

津南町 (つなんまち) とは、新潟県中魚沼郡唯一の町であり、毎年冬になると、天気予報やニュースにより、全国的に知られる豪雪地帯である。

古代[編集]

こんな雪ばかり降っている土地なのに、実は縄文時代から延々と人が住み続け、この地方独特の文化を築き上げていたことで知られている。まぁ、住みづらいほうが戦火に巻き込まれにくいという逆説の日本史のような話であるけれど。しかしながら、1箇所に延々と住み続けた結果、ン千年の規模で火焔土器などという、げーじゅつが爆発したような国宝をそこらじゅうに埋めまくることが可能になっていた。もっとも、ごくごく近い場所にある糸魚川市姫川流域で取れたヒスイは、全国各地どころか、海を渡って中国にまで、およそ人が行き来する場所にばら撒かれまくっているような状況であり、単なるひねくれた土の塊は信濃川流域にしか出てきやしない。

近代[編集]

また、近世に入ってもとことん中央の情勢とは関係ない道を歩むのが特徴で、普通に町内でもっとも山奥にある集落、「秋山郷」には平家の落人伝説が存在したり、南北朝時代においても、まったく空気を読むことなく、最後まで南朝側を支持したり、さらには隣に位置する十日町市松之山地域が、古典落語松山鏡」(鏡を知らない人たちが初めて鏡を見て・・・という話)の舞台になっているなど、その類の話がごちゃまんと存在する。
ただし、ウィキペディアにある秋山郷の記事にある、昭和時代の初め、住民が村を訪れた測量隊に向かって「源氏はまだ栄えているか」と聞いたような逸話は、単に村人が測量隊をからかっただけである。なぜなら、文明開化によってこの山間の僻地にも学校なぞという教育機関ができ、さらには交通網の発達により、郵便などという制度もまた、昭和初期にはこの地域に根付いている。ただし、この話は昭和初期どころか、平成、さらには2000年代に入ってもまだ鉄板ネタで通用するところに、秋山郷のよさがある。・・・恐ろしさとも言う。