人殺し強行してればこんな事になってない うちはとても厳しかった

それは あたしのものに手を出すまでは

あたしのものに手を出したら 残酷になるから

あたしのもの 自分らの手で操作しようとしてたのは相馬藩


アリーナの手出しは市の責任 それで1千万



あとざっと100億はくだらない

今の国の予算で90億ってどのランクの話か

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さらにさかのぼると もっとすごい莫大な金が動いてる

徳川幕府の金庫と一緒だったんだ 権威がすごくて

歴史に出てくる天皇なんたら まったく無意味

そもそも江戸時代は天皇や朝廷はすっこんでろ状態にあった



あー 奥松島で動いてた伊東はこの伊東だな??

ほんでここらにいる青森ナンバーは青森浪岡の手か??



人手が足りなくて来ているとすれば 目をつぶるしかないか

しかし 強盗にうちの家系を何人も殺した関係者と名前がかぶれば

確実に疑いは捨てないから。

普通に仕事をして普通の対価をとって当たり前のことしてるだけなら

黙っててやる。

しかし 馬キチはみんなあたしんちの金で生き延びた悪霊だ

おかしなことすれば 莫大な報復はするから。



あと前にも書いてたけど 伊東が所帯大きいならばなおさらのこと

相馬藩の伊東は伊豆の伊東本体に金を借りるべき事案

只野なんていうのは只野忠 只野忠助 つまり鬼風子孫と名乗った連中

本の連中だ

只野忠助 只野友助 これ 下手したら一緒じゃねーのか そして??

あの系図に載ってたの 忠助って書いてあったよな 確か

見てみろ 忠の上が忠助ってなってるから

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伊東は自分とこの本体に借りるべき ほんで撲殺されるのならそれが筋

ましてや 鬼風はうちと親戚だよみたいな話 かげてかなりしてたようだが

それが原因で天童丸なんて虚像を作りこみ北畠の子を売名してたんだから相馬が。



そもそも何度も殺されて 殺されかけて 奪われてんだから

あとな 鬼風の俳句とされてるもの

鬼風はうちにいた枳風のパクリ 系図を自分とこにかぶせてたのがまず第一

だからこの本でいう鬼風の出生時期が うちのと同時期 江戸中期

それは松尾芭蕉が江戸初期の人物で弟子の位置にあったから枳風が。

枳風は江戸中期。それとこの只野忠メトロパチンコの系図の鬼風はかぶせてある。

そしてうちにいた枳風は芭蕉庵の出資もしてるぐらいの地位 才能はわからん。

その枳風のものを鬼風サイドで盗んで、まるっきり成りすましに利用してたなら

うちのものはメトロパチンコの只野忠のとこにある。

鬼風という別人が、自分で俳句を作った その俳句仲間がルンペン何人かいて

確実にこの鬼風仲間はあたしんちの金を食ってる。

もしかしたら江戸中期に中舘から移動してから、とことん騙されていたのかも

しれない。その場所が相馬藩浜名の屋敷跡 女の悪霊出る土地だ。

ほんで鬼風の仲間うちに郡と桑折がいんだから。



ほんでいつもいつも タカリと悪霊がくるのはうちのほう

五右衛門の源辰んとこへ行けよ 目障りな。

これすなわち 五右衛門つまり源辰は埋蔵金もなきゃタカリ攻撃もない

なぜ??  うちを利用し 他人には北畠が多田野を継いだと騙してきたから。

これこそが、とても危ない間違いのもと

北畠=多田野だよ確かに。しかし吉左衛門とつけないと。

北畠(吉左衛門)が多田野源辰(五右衛門)家系を継いだと拡散してたのが只野一郎

の家系。しかしその只野一郎家系こそが源辰の直系。




しからば吉左衛門(北畠)は源辰の何を継ぐって??  源辰は何もないのに。





源孫じいさんの手記には、騙されてる記述がある。

それにはたくさん 騙されてることがわかる記述がある。

わけがわからなくて、うちのじいちゃんは長々とそのわけのわからない記述を

書いた。それを繋ぎ合わせて導きだしたのがあたし。

あたしは刑事になれるとさいさん言ってる。



源辰サイドが勝手に、うちが多田野源辰美濃守を継いだと言ってただけ。

そんな言い訳通用しない。北畠軍の金は南朝の戦争の資金で莫大だ。

それを扱う北畠の血がなんで源辰などという家臣の家を継ぐ??

アタマおかしいから、学校の先生やってきたなら よく考えろ

そんなんだから、小学生に「お前らは子供を産むな!結婚もするな!」

なんて怒鳴り散らすサイコのような教師が生まれるんだ。

しかも源辰サイドの大嘘は、さらにおかしい。


顕成が長男で男児 偽名で吉左衛門使っただけと

しても、源辰のものを相続というのはあり得ない。家督だから顕成は。



見張り詰め所にいたのが源辰 江戸初期までそれをやってたのが源辰。

金があったなら家臣にやらせるべきこと。




只野一郎のとこが うちに大迷惑かけた本体の一部

北畠は多田野源辰の家系を継いだと嘘ついてるのがひとつ

さらに源辰直系は俺んとこだと只野一郎が言ってるのは事実

これを繋ぎ合わせると、只野一郎つまり先祖が多田野源辰美濃守のケツモチは

北畠だからそっちに請求して あいつが相続してるから

などと語り 全部 うちにたらい流しした犯人

相馬藩の家臣みたいな事 つまりパシリの位置にあった源辰が自分の息子は

吉左衛門(○代目吉左衛門)だ などと言えば、んじゃ子供に請求するって

相馬藩が土足で入ってくる

うちで代々 吉左衛門という名を襲名してたため、もちろんその子も吉左衛門

になれば、吉左衛門だらけ

しかし 源辰サイドからしたら ○代目吉左衛門は顕成の子

俺の息子のようなものだとか 俺が息子に払わせてやるとか

調子のいいことを代々 ぬかしてきたんだろう 源辰家系で。



これ 例えると 芸能人が莫大な金をとるようになった時

親が子供の金をあてにして 調子に乗ってる構図



これ 家系が古いから 何代目かの吉左衛門の子供が青森に行き来してた可能性も

出てきたか??




しかし、顕家の遺産は全部うちで守ってきた。

だから青森浪岡は顕家の遺産についての事がまったくわからない。

わからない分際で北畠だけ名乗ってたら どんだけうちが迷惑すると思う??

そういうの 身から出たサビって言うんだよ。




顕家が残したものは山王さんだけでなく幟旗・古文系図 なんやかんやあった。

山王さんのことをまったくわからない人間 青森浪岡とな

山王さんを盗んだなどと語ってきた御子神社や日吉神社宮司

うちの家系に言いがかりを何百年してきたかわかるか



もともと 桑折関係なし 

うちがいたから中舘の地に人が来てたんだ もちろん烏崎のとこが商売の船

ついてた場所で。



その頃は すでにお浜下り行事を中舘で うちの家系と住人でしてたはずだ。

桑折が俺が安置したなどと看板出した時期というのは、それに関わる人間が

死んだか移民して消えたか なんかでまったく過去の事は伝説にだけ

なっていた。それを拝借しただけだ 桑折城城主 桑折が。



それを桑折が安置したことに書き換えて いい気になって

鹿島大火の時 うちの文四郎や吉左衛門が逃げ回るハメになった時

呼び込みしたんだよ 親戚みたいなことを語って・・・・




そんな事をどういう目線で見てるんだ 源辰家系は・・・

親戚??  助けようともしないか

そーだな 責任転嫁に利用していただけだから



そしたら なんで墓がべったりくっつけてあるか

世間には親戚だ 家系を継いだ だからアイツへ請求しろみたいな立ち回り

するために家系の墓をくっつけてアピールしてたんだ






これが事件の全貌だ



将来 これ 映画になるかもしれない内容

そしたら只野一郎 メトロパチンコ すべて犯人として世に出回るから

子孫なんて生きていけないよ はっきり書いておく。




そしたら北畠軍の金がどれほどの金か

北畠軍が通ると道端の草もなくなると言われるほどの人数であり規模である

それが北朝桓武平氏と殺し合いになってた。

その軍事資金が俺の金だと??  只野一郎の家系 どのツラさげて

その時の家臣にほざいてるか 言ってみろ



東北の拠点 多賀から霊山に移してんだぞ??  

多賀には金なんて置いてこない

ぞっくり霊山に移動してるんだ

その金だぞ??  戦争の金 俺の金だと??

埋蔵金伝説あったのはうち 顕成が生まれて間もない時に落城し

鹿島に逃げてるからその時のことを顕成はある程度大きくなるまで知らなかった。

それをいいことに、利用して何百年と生きたのが源辰家系だ。

その顕成は父親の顕家が貴族公家出身だったことから12.3才ぐらいまでは

ここらに隠れて住み そん時は松代も一緒だったろうが

そこからいったん京都へ行ってる。これは顕家と同じく公家としての仕事を

覚えるため。だから京都に顕成が仕事してた記載だけ残ってる。

そして14.5才ぐらいの時にか 足利が京都に攻めてきたと通報が入り逃げた。

逃げた先は青森だった。そこに姉がいたからだろ 顕っていう名の。

しかし、そこから鹿島へ来た 確実に戻ってきた理由は山王さんを頼んで

預けてた状態にしてたからだ。父親の遺産すべて預けていた。

それを持って京都へは行けない。紛失するから。

だから絶対に取りに戻らなきゃいけなかった。顕成の消息不明はここにあった。

そして戻ってきて預けた父の遺産を受け取り、霊山に当時の南朝軍資金が

埋蔵されてたから、それを源辰と掘り出して鹿島へ持ってきた。

そして父親の遺産がある 金がある そんで身をとりあえず隠して生きていける

だからここに居て商売をはじめつつ、宮行事を行っていた。

それが伝説の山王さんだ 中舘城の。



同じ人間であっても 責任を果たさなきゃいけない血統だ。一緒にすんな。

嘘を押し付けて殺してくるなんて これの怨念 何千年と続くから。

責任があったのには理由がある。それだけの能力があったから。

これに尽きる。これだけの軍勢を当時動かすほどの信頼と裁量と実力とすべて

持ってたからこそあの戦争は起きたし実現した。人がついてこなきゃ

そんな大軍を引き連れて移動もできない。

それを背乗りしようとする輩が何度もしつこくつきまとい疲弊させ

あらゆるものを奪って さらに あたしにまでそれをかぶせた。

国を二分するトップが いったいどーいうものだったか

これに牙むいて 顕家よりも徹底的にやられるのは覚えておけ。