そーすると定義は うちで行ってもいいって事になるのか


そーすると定義は うちで行ってもいいって事になるのか

うちの親戚で伊達藩寄りのとこでは、昔は歩きで数日かけて定義まで毎年行ってた

そうだ。

平氏と源氏でどういう立ち位置か調べてきて どちらも派閥があったことは

もうわかった。

今の結論から言えば、桓武天皇サイドの勢力が金を使うための流れを

何千年とかけて作られてきたって事。



あと、浄土宗だから あそこ 阿弥陀あるんだけど

鎌倉大仏百済仏だって韓国の人言うし 

頼朝はあたしのうちにしたら仇だからな。

安徳天皇はまき沿いになったんだな そーか・・・。

定義に安徳天皇の墓 あるから 奄美方面でもし東北来た時は まわってみても

いいぞ。もし 縁を感じるんだったらの話だけど。

ja.wikipedia.org/wiki/西方寺_(仙台市) - キャッシュ
西方寺(さいほうじ)は、宮城県仙台市青葉区大倉字上下(じょうげ)にある浄土宗の 寺院。山号は極楽山。本尊は阿弥陀如来画像軸。観蓮社良念により開基された。正式 名称で呼ばれることはまれで、一般に「定義如来」(じょうげ にょらい)と呼ばれる。

www.jalan.net/kankou/spt_04101ag2130009078/ - キャッシュ
西方寺(定義如来)は平家伝説のまつわる定義如来本尊は縁結び、子授けに霊験 あらたかとして名高い。安徳天皇天皇塚もある。県内初の五重塔落慶(昭和61年10 月6日)。


結論から言うと、この源平合戦

源義仲平氏滅亡となっている。

これ、逆算するといいんだ、だから。

そうなると、義仲はうちの血統だから、あと滅亡したとされる
平氏はペルシア民族だな。

つまり、これ
桓武天皇の流れが残るように仕組まれた作戦だったということ。

何度も書いてる源頼朝は源氏といえども、北朝サイドを立てている結果になってる。その頼朝の部下が島津、つまりアキヒトんとこなわけ。

ということは、この敗れた平氏というのは桓武天皇に邪魔と見なされた平氏というか、今思うのはペルシア系統ではないかと
いう気がする。その系列には平将門も入ってると思う。

これでどちらが南朝北朝か、推測できるのではないか??

また、平安時代に入ると、桓武天皇の南都仏教抑圧策により「造東大寺所」が廃止されるなどの圧迫を受け、また講堂と三面僧房が失火で、西が落雷で焼失したり、暴風雨で南大門鐘楼が倒壊したりといった事件が起こるが、後に皇族・貴族の崇敬を受けて黒田荘に代表される多数の荘園を寄進されたり、開発した。やがて、南都の有力権門として内外に知られるようになり、多数の僧兵を抱え、興福寺などと度々強訴を行っている。

桓武天皇、あたしは百済移民豪族の皇子と指しているけど
これ、嫌がってるもの。桓武天皇という人は、百済移民の系統だから中国寄りのものが嫌いだったワケ。んじゃ何で??
百済は中国の唐に負けた移民系統だから。だから焼失させられた。と言うことは、勝ち残ったとされるサイドは桓武天皇サイドとなる。では、唐とは如何なる国だったか。教養のある統率のとれた国だったと思うよ、その時は。
その唐国の書物。
過去にたびたび載せている。



損害
東大寺興福寺が焼失
Sasa Rindo.svg源義仲側滅亡

Ageha-cho.svg平氏側滅亡