![イメージ 1](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/akatsuki_bigdeta806z/20010101/20010101045300.jpg)
東北に来る時に持ってきている。
多賀に入れて、多賀落城の時 霊山に移し、霊山落城の時
うちで持ってきた。
うちって北畠の嫁と子が入ってるんだ。
それも書かれてたかもしんない過去帖は鹿島の真言宗の寺 焼失の時
焼失したと言われてきた。
そこまでされてんだ うちは。
厳重にしていても。
出ていけと今は言わないが、それに近い あたしの考え。
きちんと申し出た。
キンペーのほうではそれを了解している。
日本国内にある天台宗の本体は滋賀にあるが あたしは関わりたくない。
これは何千年という時間を経ての結果だから。
あと、アタマにくる話のもうひとつが 日吉神社
うちの家系の事実を日吉神社で神事として行ってきた。
ところがどっこい その血筋は生きている。
そしてそんな宮司たちに アカの他人の目で見られ
あたしは20代の時に アカの他人のような場所と見てきた。
それが日吉神社 本体は滋賀にある。
![イメージ 2](https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/akatsuki_bigdeta806z/20010101/20010101045310.jpg)
繰り返すのが嫌なので かなり強硬手段もとる。
そうしなきゃ 守れないものが多々あった。
あと、この写真見て思い出したけど、そこの日吉神社の看板に
まったく意味をなさないんだよ そこの日吉神社。
もはや あたしが 山王権現本体となってるようなもの。