あと、松代の家系が熊野信仰あったから顕家が熊野権現持ってたわけじゃなさそうだ。


あたしが調べた過去のデータでは松代とその親 大江の家系で熊野信仰やってたと

見てたけども、これでいけば顕家が熊野権現持ってた理由は頼義の流れの可能性が

出てきた。

大江は毛利であって、寒河江だかんな

その界隈で利用されてる事がかなりある 昔から。



歴史[編集]

新宮熊野神社は、平安時代後期の天喜3年(1055年前九年の役の際に源頼義が戦勝祈願のために熊野堂村(福島県会津若松市)に熊野神社を勧請したのが始まりであるといわれ、その後、寛治3年(1089年後三年の役の時に頼義の子・義家が現在の地に熊野新宮社を遷座・造営したという。この時、同時に熊野本宮社を岩沢村(喜多方市上三宮町)、熊野那智社を宇津野村(喜多方市熱塩加納町宇津野)に遷座・造営したが、後年、この2社は新宮社に遷され、現在、神社には本宮・新宮・那智の3社が祀られている。