今はじめて書くけどマタギは修験者と狩猟と落ち武者との融合

だからあたしに それだって見つかったんだよ

山神は古代天台宗として 湯殿山が古代真言宗とする これが導くものは

古代修験者は密教に多かったという事。

古代密教イスラム系なのはインド ネパール チベット 中国では東夷という

立場で日本へ。

これらが日本でゾロアスターの拝火と 密教ならでは中東の風をまとって

山々で修行をしてきた。金にならない。

しかしそれを仕事としなければ、各々の行事レベルで可能。

これらがあちこちで足跡をつけ その中東風のものは 後に源平合戦で各地を

追われた平家たちと融合していく。平家たちはペルシア系だから違和感もなく

すぐに近寄ったはずだ。

そしてその昔 天台宗真言宗これが形として出てくるまでが密教の長役に

熊野信仰

熊野だよ 熊野。

だからあたしんちには熊野権現があったのは当然の事。

なぜ 天台宗 真言宗より熊野が古いのがあたしにわかったか。

山王ニ十一社神像

これは熊野権現の元だ。

そしたらどーいう順か この前多賀城の熊と狼展見たついでに、そこにあった展示品

の確認作業をしていった。あそこにあった鏡に熊野権現の元となるものが彫られてる

のを確認した。

その鏡は今度 喜多方の熊野神社のそばの施設に展示してあったっけかな??

あったな たぶん

それが同時期のもの。

そして その後に熊野として作りだされた。それは鏡よりも熊野権現のほうが

より具体的に服や帽子がはっきりと刻まれてるからさ。

そして熊野んとこに男神と女神がある。これが今度 マタギんとこにある男神 女神

と同じポジションになる。

そしてこれらは どう見ても古くの中国先人の姿なんだな。

しかし天台宗阿弥陀は中国系のそれとは違う これは中東系インド ネパール

チベットあたりの形式だ。

密教は東夷 魏ならば、曹操なき後 中国の中心部から離れているから中東系の

人も取り込んだ交流と貿易ができる。確か曹操も貴族を嫌ってたはずだな。

これらの物の点と点をつないでいけば、だんだん日本史がゆがめられてたのが

わかるから嫌でも。

あたしはさいさん言ってる。多賀は唐と行き来があったって。




数年前は 宮内庁が発掘させてくれないって考古学者たちがボヤいてた

つーか大ブーイングだった。あたしはそれら手をつけられないもの以外を

とことんやれと言ってた。

これも天皇じゃなきゃ強行できないんだよね。その頃は朝鮮のものが出ると困る

からでしょという流れだったものの、あたしは毎日積み重ねをしてる。

そこから何ヶ月経ったのか 朝鮮どころでは済まないとこまでたどり着いた。

三国時代からの物が出てくる根拠は今提示したとおり。

しかしそれ以前の縄文 弥生時代の先進的ものが解明できるかもしれない。

そして狛犬のルーツも最近明らかにした。

総称狛犬が 犬だったり獅子だったり 狼だったりしてきた事実。

これで民族移動を探る手がかりになる。

さらにこれから今度 バビロンの日本到着と解明。

考古学者は数年前じゃ考えられなかった驚愕の話を見ながら 仕事が出来るという

何千年に一度あるかどーかの場面にある。それが今。

それもあたしでないとわからない。あたしがいなかったら考古学者たちは腐って

いた。