金 (王朝)と清

金 (王朝)1115年 - 1234年女真族

西夏(王朝)1038年-1048年李族


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なお、17世紀になって同じ女真族が「金」を名乗る王朝を建国したが、これは「後金」と呼ばれて区別される。後金はのちに「」と改称し、大帝国を築いた。


1130年、金は南宋の力を弱めるために、宋の地方知事であった劉予を皇帝に立てて中国語版を建国し、今度は安定した傀儡国家を作ることに成功した。

(きん、拼音:Jīn、女真語Amba-an Ancu-un.png [amba-an antʃu-un]1115年 - 1234年)は、金朝(きんちょう)ともいい、中国の北半を支配した女真族征服王朝
国姓完顔氏北宋を滅ぼし、西夏を服属させ、中国南半の南宋と対峙したが、モンゴル帝国)に滅ぼされた。都は初め会寧(上京会寧府、現在の黒竜江省)、のち燕京(中都大興府、現在の北京)。

中国の北半を征服した。またこの時金軍は、欽宗のみならずその父の徽宗、及び多くの皇族や皇女達を連れ去っており、妃や皇女達は全員が金の後宮に送られるか、洗衣院と呼ばれる売春施設に送られて娼婦とさせられた[1]