労働力の対価を払うものと支払われるもの


いわゆるイギリスの貴族って、日本の公家と思考が合うんだな

あたし公家入ってても 合わないよ~ 

あたし ユダヤ嫌いだもの。

これらのカリブ海諸島植民地の経済基盤は砂糖であり、特に1650年代からは、それまで砂糖生産の中心地であったオランダブラジル北東部(ノルデステ)がふたたびポルトガル領にもどったことにより、サトウキビの技術者たちがカリブ海域に流入したことやそれによるノルデステ砂糖生産の低下により、この海域において大規模な砂糖プランテーションが相次いで開発され、この地方が砂糖生産の中心地となった[9]。これらのプランテーションには多くの労働力が必要であったが、この労働力はアフリカ大陸から連れてこられた黒人奴隷によってまかなわれた。ヨーロッパから工業製品をアフリカに売り、アフリカで奴隷を買い付けてカリブで販売し、カリブで砂糖を購入してヨーロッパへと持ち帰る、いわゆる三角貿易は大きな利益を上げ、この貿易を握っていたイギリスはこれによって産業革命の原資を蓄えたとされる。16世紀から19世紀にかけてカリブ海につれてこられた黒人奴隷はのべ420万人にのぼり、これは新大陸全体の黒人奴隷輸入の42%を占め[10]、最大の奴隷受入地となっていた。またこれらの西インド諸島の農園主たちは本国議会に議席を確保するようになり、18世紀には西インド諸島派として保護貿易奴隷制を主張する一大勢力をなしていた。一方で、これらの農園主たちは土着するよりはイギリス本国にわたって不在地主化することが多く、イギリス領北アメリカ植民地のようにその土地に根を張ることは少なかった。これらの農園で過酷な労働にさらされた奴隷たちはしばしば逃亡を図り、山間部に逃亡した逃亡奴隷たちはハイチやジャマイカなどでマルーンと呼ばれ、先住民たちと協力しながら山間地にひそみ、自給自足の生活を送りながら白人農園主たちと対立した。サン・ドマングフランソワ・マッカンダルやジャマイカグラニー・ナニーなどは後世、抵抗の象徴として英雄化されている。18世紀後半にはイスパニョーラ島東部のフランス領サン・ドマングが世界一の砂糖産地となった。