桃源郷の本家本元の方


陶 淵明(とう えんめい、365年興寧3年)[1] - 427年元嘉3年)11月)は、中国魏晋南北朝時代六朝期)、東晋末から南朝宋の文学者。は元亮。または名はが淵明[2]。死後友人からのにちなみ「靖節先生」、または自伝的作品「五柳先生伝」から「五柳先生」とも呼ばれる。潯陽柴桑(現江西省九江市)の人。郷里の田園に隠遁後、自ら農作業に従事しつつ、日常生活に即した詩文を多く残し、後世「隠逸詩人」「田園詩人」と呼ばれる。
陶淵明には詩のほかにも、辞賦散文に12篇の作品がある。「帰去来の辞」や「桃花源記」が特に有名である。前者は彭沢令を辞任した時に書かれたとされ、陶淵明の「田園詩人」「隠逸詩人」としての代表的側面が描かれた作品である。後者は、当時の中国文学では数少ないフィクションであり東洋版のユートピア理想郷の表現である桃源郷の語源となった作品として名高い。


やばい もしかしたら この廬山 水墨画にあるかも

今 開いて見ないけど、なんかこの渓谷 絵で見た気がする



九江市(きゅうこう-し)は中華人民共和国江西省北部に位置する地級市。市区部は長江揚子江)沿岸の重要港湾都市となっている。

地理[編集]

北に長江を臨み、南に名山・廬山世界遺産)が聳える。市名の由来は『書経』禹貢に「九江孔殷」と見え、長江がこの付近で諸川を集め水勢を強めることをいう。湖北、安徽、江西三省が交界し、兵家必争の地でもある。

廬山は「蒼潤高逸、秀出東南」と謳われる中国東南部随一の名山であり、中国文化史・宗教史・政治史の上でも独特の地位を占めてきた。また多くの詩人・文学者・画家らが廬山を描いており、中国の山水文化の歴史を凝縮したような存在でもある。東晋以来、廬山を詠んだ詩歌辞賦は4000首を超える。